月夜のうふふ作戦(その二)

(その二)

 帰宅することになり、夜道を、八時頃だったと思うのだけど、二人で歩いていると、突然ぼくの脳裏にあることがひらめいた。
 ぼくの通った高校ははっきり言ってしまえば田舎なので学校の周りにはキビ畑や自然のままの森などが残っていた。帰り道には亀甲墓経由コースという難所があって、墓の隣、赤土に石灰岩がところどころ顔を出している小道をソテツを避けながら通らなければならなかった。
 それに今日は満月とはいえ夜なのである。
 いまだに新種の哺乳類や甲虫が見つかる沖縄のことである。夏の夜道は懐中電灯を点けて歩かなければ、猛毒を持ったハブが足に絡み付き歩行さえ困難である。フクギの梢からはオキナワオオコウモリの不気味な笑い声が聴こえ、かじり落とされたフクギの実は甘ったるいアロマを発散し続けている。
 やがて月明かりに照らされて白く輝く白壁が現れてきた。亀甲墓の側足部である。
 ここで簡単に沖縄の亀甲墓の構造を説明しておくと、はっきり言ってぶっちゃけた話、その外見は女性の下半身と同じ構造とこのさいはっきり申し上げておきたい。死んだら生まれた所へ戻る、という実に最も分かりやすい、沖縄の先祖はエライと思われる、又は、ただ単に年中暑いので考えるのがめんどくさかったのかもしれないぞ思想を現実の形にした、墓が亀甲墓なのである。ちなみに名前の由来は女性のおなかの部分(そこに骨を入れた厨子瓶を安置する)が亀の甲羅に似ているからという理由で呼ばれている訳です。
 で、問題の亀甲墓経由暗い夜道コースにぼくとかまどの二人は今まさに突入したとご想像してください。そこでぼくはかまどに手を差し伸べ「だいじょうぶかい」と声をかけると、彼女は少しうつむき加減に銀色に輝く頬の産毛を震わせはにかみながら「ええ」と小さくうなずき、川平さんて優しくて信頼できる人と好感をもってしまう。名付けて「月下の手を差し伸べ好感度アップ作戦」を思いついてしまったのである。
 そこで二人は実際に亀甲墓の小道に差しかかった。月焼けしそうなほどこうこうと輝く月。ソテツの葉はぼくらを祝福して手招きするように風に揺れ、かまどのうなじからは溌剌とした若い女性特有の甘い香りが匂い立っていた。手を差し伸べ、「あんた大丈夫ねえ!」と声をかけたのは、なな、なんと、かまどの方だった。ぼくが石灰岩に足を取られヨタヨタしているところを彼女に助けられてしまったのだ。「月下の手を差し伸べ好感度アップ、できればその後二人でウフフ作戦」はあえなく頓挫してしまったのである。

 ここで話は最初に戻るのだけど、ぼくは本の読み過ぎで視力が落ちていた。悪くなりかけの視力〇・五くらいだと目が悪くなったことを本人もなかなか気づかないものだ。その後すぐにメガネを買ったのだけど、石灰岩に足を取られるまで自分の視力が落ちていることに気づいてなかった。昼間は何の問題もなく通っていた通学路であるのに思わぬ伏兵が潜んでいるとは。完璧だと思われた計画は自分自身の不摂生(夜中の読書)によってあえなく打ち砕かれた。事実は小説よりも奇なりと言うけど、現実は気にもならない結末でした。
 石灰岩につまずいたときあのまま弱い男を演じて甘えてしまう「月下の母性本能くすぐり攻撃」といったものを展開するのも一つの手だったのだなあ、と、実に未練がましく考えてしまう今日このごろなのである。(了)

月夜のうふふ作戦(その一)

下の画像はセブンアンドワイにリンクしています。

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(その一)

 自慢話のようで申し訳ない。これは後の話しに関係があるので書いてしまうのだけど、高校生のころに結構本を読んだ。最初は姉の本棚にある小説を拾い読みし図書館で本を借り那覇の書店にも通うようになった。読書に費やす時間も長くなり毎日夜中の三時頃まで本を読み、ちゃんと学校にも通った。我ながらエライ青春の日々だったのだ。
 やっぱりそういたふうに読んだ本の中にはこれまでの少ない十七年ぐらいの人生を根底から覆す本にも出会ったりする訳で、それは北杜夫著『あくびノオト』だった。ああ、小説というものは何をどのようにかいてもいいのだ、自由でいいのだと納得した次第。

 話は小学校のころの国語の時間に跳ぶのだけど、今はどうか知らないがぼくの小学校の国語の時間に最大にいやなものと言ったら、それは作文以外にないでしょうそうでしょうだれもが納得するでしょうというくらいぼくを含む周りの友人達から嫌われていた。
 国語の時間が好き作文がもっと好きと自慢するような奴はえてして女子に多く、なぜか身体の発育が男子に比べいいものだか心も発達していると勘違いしているメガネをかけた学級委員長安室ウシ(十二才、小六、仮名)などあたりが、筆運び軽やかに規定の原稿枚数を書き上げ、帰りのホームルームが終わっても書けないだめな男子児童を尻目に、「がんばってね」などとぬかすのである。ああ、思い出しただけで胸糞悪く腹が立つのだけれど、かように小学校の国語の作文の時間というのは地獄なのである。
 書き上げた子らがまた一人また一人ランドセルをかつぎ帰って行く(安室ウシを含む)のをうらやましく見送りながら、これ書いたら恥ずかしいなあ、みんなに笑われるかなあ。これを描いては先生が許さないだろうなあ、と小さくてからっぽの空気頭の中を少ない語彙が駆け回りぐるぐると何の進歩もなくまた同じところに駆け戻ってくるのである。本人は一生懸命なのだけれど目の前の原稿用紙の升目は全く埋まらず、はた目から見れば客観的状況に何の変化もなく、
「お代官様、わし何の悪いこともしていないだ、助けてくんろー」と時代劇における役人と民百姓とのやり取りといった悲壮感すら漂ってくるのである。ホント生き地獄でしたよ。
 と、ここまで書いてこの話は横へ置いておくことにする。

 場所は変わって高校の教室。文化祭の準備で遅くなり教室の中にはぼくと伊波かまど(十六才、高一、仮名)の二人だけとなった。ぼくは彼女に特別な感情(恋愛感情など)は持ち合わせてはいなかったが、信頼できる女の子だなあ、と好感をもっていた。

 大人になった自分が過去のそれも思春期の気分を述懐するのも誠にこっ恥ずかしいのだけれども、あのころは純粋に異性に対しても「信頼感」などといった天然記念物的感情が実際にあったのだと甘酸っぱくなつかしく思い出してしまう。日本のトキは繁殖に失敗したけど心の中の信頼感もやはり繁殖に失敗したのだと改めて思うのである。話はどんどん脱線して男女間に友情は成立するか、といった古臭く手垢にまみれた犬も食わない問題の周辺あたりをうろつくことになるのだけれど、実際現在の妻と話していると、女と男は全く別の生き物なのだよなあ、とつくづく感じ入ってしまう。巷で流行の血液型性格分析のように四種類で自分の性格判断されるのもしゃくだけど、恋愛感情がある男女というだけで相手のすべてが分かってしまう、というのはあまりにおこがましいのではないか、と小学生のころに読んだ手塚治虫著『ブラック・ジャック3』から覚えた「おこがましい」なる表現を使わせてもらうほど、やっぱりおこがましいのである。
 相手のことを理解しようと努めることは大切だが、理解していると自己満足するのは困る、といったあたりが今現在のだいぶ久しくなった男女関係の落とし所ではないかと思っている。
 で、話は高校のころの教室の中であった。(つづく

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上の画像はセブンアンドワイにリンクしています。

グブリー川平著『美作岬(ちゅらさくみさき)』第3回(全3回)

 フクギ並木が碁盤目状に立ち並んだ村の中。フクギの枝に黄色い実がたわわに実り、甘い匂いを撒き散らしている。幹は布地の染めに使れる優しい黄色、外側の樹皮はただごつごつして黒いだけ。根元の砂はきれいに掃き清められ、庭箒の跡が幾筋も丸い模様になって残っている。のづらづみの低い塀、その奥にふくぎ並木。家の門はなく、ひんぷんと呼ばれる塀が視線と導線を遮っている、赤瓦の小さな家。黒地に白い蛇皮模様の入った着物を着た女が夜だというのにひんぷん前の砂地を箒で掃いている。
「おかー」
 女は掃く動作を止めて暗い通りに目をやる。
「おかーよー」
 王は駆け出して体当たりするように女の胸に飛び込む。王からおかーと呼ばれた女の頬に大粒の涙が流れている。
王は赤瓦の家の一番座に通された。仏壇の引き戸を恐る恐る開くとぷーんと線香の匂がした。ウコールと裏返しになった額入り写真。線香があげられている。畳はなく床がむき出しになっている部屋だった。足を踏み入れるとぎしぎし鳴った。床は安普請の為か床材の乾燥不足のせいか、材と材の間に隙間ができている。所々に節穴があき、のぞけば土間の土が見えそうだ。そうだこの穴に昔、お金を落とし、したたかおかーからしかられたのだった、と王は子供の頃を思い出す。母の怒りが激しかったのは落としたお金がその日の夕飯のための資金だったからだ、ということを王は知らない。
 奥の二番座では宴が始まった。親戚縁者その他が集まり、座卓の上にはたくさんのごちそうが隙間なく並べてある。クーブ、カステラ、エビ天、いも天、豆腐チャンプルー、三枚肉、田芋、カマボコ、もち、あんもち、アシテビチ、耳皮さしみ、中身汁。酒は泡盛、水。三味線の音が星空まで届く。柱に栓抜きが打ち付けてある。長い間ひざまずきをするとひざ小僧にござの跡が付く。親戚の大人の話に飽き、あくびをしたり足を伸ばしたり、じりじりしびれた足をもんでいると、王は不思議なことに気づいていた。座卓の下に突っ込まれたたくさんの足の指には同じ特長があった。
 床に視線を落としていた隙に母が近づいてきたのか、王の視覚に二つの足が写った。足の親指が大きく内側に曲がっている。
「外反母趾、そう、わんもそうだ」と王はつくづく、自分はこの人の子供なのだな、と思った。「おかー」ともう一度だきしめたい衝動に駆られた王が視線を女の顔に移すと、
「あなたは日本人でしょう。日本人ならば、日本人らしく、恥ずかしくないように、立派に自決しなさい」と女は能面のような顔で言い、アダンの実の形をしたあの見覚えのあるピンの抜かれた手榴弾を王に手渡した。
 どどどどっどーんと王の鼓膜を破った衝撃波が、まばらに生えた草木をなぎ倒す。秒速千五百メートルの爆圧は、王の鼓膜だけでなく腹も切り裂いていた。爆発より先に崖下へ転落するはずだったが、手榴弾のザクロのようにはじけた鉄の破片は王の行動を追いかけなおかつ速かった。王は真っ逆様に美作岬の岸壁から海面へと落ちていった。ごぼごぼっとしょっぱい水が鼻と喉に入り込む。ぽちゃぽちゃぽちゃと王の周りに手や足や胴体がバラバラの状態で落下する。岸壁の人影に向かって王は叫んだ。
「おかー」
(了)

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グブリー川平著『美作岬(ちゅらさくみさき)』第2回(全3回)

 身体全体が板のように硬い海面にたたきつけられた。冷たく、塩辛い水が鼻と口から入り込む。のどはひりひりと痛み、眼はかすみ、体全体に痺れがある。だが、そんなことはどうでもいい。しかまちかんぱちさかいまち。わんは生きている。ちゃーびらありびらがじゃんびら、わんはいちちょーんばーてー。わんや美作のスパイるやゆる、山うんぬきてぃ、戦果あぎら。頭蓋骨の中で喜びがとてんとてんと爆発した。まぶやーまぶやーうーてぃくーよー。
 思い切り水をかいた。顔を上げると石灰岩の岸壁の上に、小さな人影があった。その人影に動きはなく、ただ、たたずんでいるだけだ。
 海岸にたどり着かなければ。傷にしみる海水が、肌の表面をなでながら遠ざかっていく快感にわんは酔っていた。波間に漂いながら、今朝の出来事を思い出した。そうだ、わんのおかーはどうしているのだろうか。今朝、わんが連行されるとき、こうもりの落とした実の匂うふくぎの下で、一本木隊長がわんのおかーにそっと耳打ちしたのはなんだったのか。ひんぷんの前で視線を落としたままわんの顔を見ようともしなかったのはなぜなのか。一抹の不安が心のどこかにこびりつきながら、「おかーに会いにいくばーてー」と空に向かって叫ぶと、希望が湧いてきた。
 千枚岩の岩にしがみついた腕がしびれていた。海水につかりふやけた身体は今にもずるむけて波間に漂いそうだった。海岸にたどり着いてどのくらいの時間が過ぎたのだろうか。疲れて寝てしまったのか、まわりの海原は薄暗く、岸壁と空の境界線はほとんどわからなかった。波の頂上が崩れるとききらきらと海面が光った。空の星は、きらきらと輝いた。ところどころ星がもやのように立ち込めて、天の川を形成していた。
 一本木隊長の追っ手の気配はなかった。夜なら行動を起こしてもつかまることはないだろう。ときどき、遠雷のような光と低い砲声が響いていた。海岸の砂は日中の熱を残してほんのり暖かく、海水で冷え切った足に気持ちよかった。やしが手蟹がアダンの木をよじ登っていた。アダンの木には手榴弾が鈴なりに生っていた。やしが手蟹は大きなつめで手榴弾の碁盤目状の鉄房をこじ開け、ちゅるちゅると中の火薬を吸っていた。こいつはゆでると赤くなってうまいのだがなあ、とよだれを飲み込む。先を急がねば、おかーの笑顔が、出てきた月の丸さにかさなっていく。
 防風林を抜けたところで、「あーっーーっ」と空襲警報が鳴りだした。B29による絨毯爆撃が今夜もおこなわれるのか。わんは歯ぎしりした。早く身を隠す丈夫な場所を見つけなければ。田植えの終わったばかりの苗を踏みつけながら、たーぶっくわぁの中を走る。どろどぅるどぅるーは粘性を帯び、足を掬い取ろうとする。くむいの先の傾斜地に薄明かりがみえた。人のおなかのように湾曲した石造りの建物がある。石垣で囲われた中庭を抜けると、石の壁が人一人通れるほどの大きさでくりぬかれ、岩陰から明かりが漏れ出ている。覆っていた草を払い、わんは中へ飛び込んだ。
 六尺ふんどし「貴様、何者だ」裸の男が立っていた。
 不浄負けの湿疹が赤くむじゅむじゅのた打ちまわっている。「空襲警報が鳴っております。いっときくっわきさせてください」とわんが懇願すると、目の前に白い光がしゅっと流れた。男は日本刀を抜いていた。男の後ろの陰に女の白い足が見えた。「出ていかんと、薪のように半分に割ってやるぞ」と男はわんに襲いかかってきた。わんは外にかけだしまろびでた。かけながら振り返ると石造りの建物は亀甲墓であり、空襲警報の代わりに「あーっーーっ」という女の声が墓の中から漏れ出ていた。まわりにケストクライ蛍がたっくわぁいむっくわぁい飛び交っていた。
 細いあぜ道はだんだんと広くなり村の入口にあたるしーさー通りに出た。鹿犬が立ち鳴きしていた。
 路上のくぼみは米軍の投下した二百五十キロ爆弾の空けた穴だ。秒速三千メートルの爆圧は身体など跡形もなく吹き飛ばしてしまう。雨水がたまり深さのわからないくぼみがあちこちに開いていた。塩水で焼けたわんののどはひりひり痛んだ。くぼみの横に膝をつき、水に両手を差し入れると、水面に波紋が広がり、「あっさよー王(わん)君ねえ」という声が聞こえ、老婆の顔が水面に映る。反射的に「おばー」とわんは声をかけてしまった。老婆はわんの首に両腕を絡めるとじりじり水たまりの中にわんを引きずり込む。
「王君はお母さんに会いたがっているみたいだけど、お母さん、喜んで会ってくれるかねえ。悪いこと言わないから、会うのはやめときなさい。今じゃないよお。それに、ここはおまえのようなさらばんじが来るところじゃないんだよ」
「なにがなんでもおかーに会うばーてー」と首筋に巻かれた老婆の腕を引きちぎり水たまりに投げ捨てる。わんは首の重石が取れた反動で地面にしりもちをついた。
「おばー、こんな水たまりに隠れてなにしているかあ?」とつまみあげられた蛙のように両足をかわるがわる伸縮させながら訊いてみた。後ずさりしたかったがおばーとの位置関係に変化は生じなかった。
 黒い着物に半透明の白装束を羽織ったおばーは水溜りから這い出て左に回りはじめた。
「爆弾の衝撃波と地球上の万物の根源であるところの水が出会うとき、そこに、時空のひずみが生じ時空間を瞬時に移動する出入り口が現れ、その回廊を駆け抜けて我現る」
「やふぁってーんぐわぁ言ったら、おばーは爆弾でほがされた穴に水がたまっていたら世界中自由に行き来できるっていうことねえ」
「あたとーん」
「だけど、そんなことして何の意味があるわけ?」
「あはははは、意味い?夢どぅいんちょーんてぇー。戦争に意味がないように、おばーの瞬間移動に意味があるんあらん」
 おばーはちぎれた両腕で地面をつかみわんに近づいてきた。穴から這い出たおばーを見ると腰から下はなくなっていた。わんは抜けた腰を押さえて立ち上がり、村へ向かって走った。おばーの声を背中で聴いた。
「くまや、いやーぐとーるさらばんじぬちゅーるとぅくろぉあらんどー」
「親不孝すねー、ぐそーかいうちーんどう」
また、わんはこんな声も聴いた。
「後生は楽しいところだよお」
 村へ入った。
 あちこちで火の手が上がっていた。空から尾を引く赤い光がひっきりなしに落下し爆発した。屋根を葺いたかやが勢いよく燃えていた。「友軍の演習だから心配ない」という言葉はなんだったのか。火の粉が降りかかり、炎の舌がほほをなめても、わんは火傷もせずに村の中を移動した。油の燃えるにおいに混ざって、肉の焼け焦げた匂いがした。紙と木で造られた日本式家屋を焼きはらうための爆弾、ということにほとほと寒心し、目的をもって人殺しをする人たちがいることを王(わん)は自覚した。

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グブリー川平著『美作岬(ちゅらさくみさき)』第1回(全3回)

 遠くを見ると、空と海の境目は霞んでいてわからなかった。群青色の海は所々油を流したように、つるっとした模様が広がり、わんはそのくねくねした跡を眼で追った。烏じゃないかな黒い鳥が旋回しながら飛んでいる。視線を下に向けると吸い込まれそうな岸壁が足元から海までつながっていた。灰色の岸壁にぽつぽつとソテツがまばらに生えている。海からの風は岸壁を駆けのぼり、足元から吹きつけた。
「その手榴弾で自決しろ」
 一本木隊長は、わんに、手榴弾を手渡した。小さなアダンの実に似ているな、と思った。
「うー、にふぇーでーびる」とわんは頭を下げた。
「貴様、やはりアメリカのスパイだな。懲りずにまだ方言をつかっておる」
 ぱーんという音とともに、燃えるやーちゅーを押し当てられたような熱と痛みがほほに走り、わんの身体はもんどりうって地面にたたきつけられた。
「ばか者、立て」平手びんたを張った右手を左手でもみながら、一本木隊長はわんから視線をそらさなかった。
ちゅんちゅんとひばりの声が風の音に混ざっていた。石ごんごろうの高台に、ふあふあと白い草の種が風に巻き上げられ、くふぇーぶぶーと共に流れていく。遠くの風景はゆらゆらと揺れている。地面から昇る水蒸気で空気が揺れる。湿布帯暑さで気分が悪い。頬から顎にかけて流れ落ちる自分の汗に、ほんの一瞬快感を感じながら、灼ける頭髪が気になる。ちるだ畏日のぶちくん太陽は、これでもかと容赦なく降り注ぎ、なんだかもうわんはどうでもいいやと投げやりな気持ちになっていた。
 きびすを返しゲートルを巻いた二本の足が遠ざかっていく。腰の日本刀が歩くリズムに合わせてしゃりんしゃりんと鳴った。
 方言を使っただけで死ななければならないとは、とほほ、ま、この一本木の石頭に説明しても。くふぁむにーではなくてやふぁらむにーぐぁーしたのになあ、スパイといわれてもなあ、大和口はむさっとI don't know.だしなあ。一本木隊長の話は嘉手納みぐいですね、といっても笑ってくれないだろうなあ。うちあたいも、ちむぐりさんも思わんだろうなあ。その言葉自体が通じないのではなあ、子供のころ、親からしかられた思い出、言いたいことが心のうちに山ほどあるのに、言語化できない悔しさ、涙、悔恨、その思いを今また味わうとは。ふしがりません勝つまでは。わんは一本木隊長が村にやってきた時のことを思い出していた。
 村に一個中隊の皇軍がきたのは初めてのことなので、村あげて一本木部隊を歓迎した。一本木隊長は学校の運動場で開かれた歓迎会で、次のように挨拶をした。
「皇紀弐千弐拾六年、皇軍でありますところの我が一本木隊が、美作村に足を踏み入れることができる、ということは、これすなわち陛下が御幸されたというも同じであります。万世一系大東亜共栄圏の繁栄を願うならば、南方の砦とも言うべき沖縄の地を、死守することが国体護持を達成することであり」
とまあ、演説は長く難しく続くのであります。そこで要約すると、わんに関係のありそうな話の内容は「一本木隊はこの国民学校に駐屯するけど、糧秣が少ないので供出してね、いいでしょう」ということだった、と思う。
「と思う」というのは、一本木隊、最初のころこそ、品行方正、背筋をピンと伸ばし隊列をしいて村内を闊歩していたのだが、ひと月も村にいると、食料はそこをつきはじめ、鶏や豚の姿は村の中から消えてしまった。起床ラッパも点呼ラッパも学校から聞こえなくなり、兵隊さんが、畑のすみに掘り忘れた小さな芋を一日賭けて探し出すようになり、まじめな顔で村人にソテツの食べ方などを聞きだすようになってくると、部隊の士気は低下しはじめた。さらに村人がアメリカーが上陸するようだという噂話をしはじめ、一本木隊長は部下への規律よりも村人へ規律を強要するようになった。
「日本軍はアメリカに負けるのでありましょうか、さびら」と一本木隊長に訊いたのがいけなかったようだ。これまでも沖縄人のだらしない行動、時間や約束を守らない風習、なんくるないさーと自分の行動とその結果に責任を持たない無責任さ、顔を見るなり「あんたうちなーんちゅねえ?」と人種差別ぎりぎりの傲慢な同族意識、人類みな兄弟と言いつつ裏ではこそこそと私利私欲を追求する狡猾さ、が一本木隊長の神経をぴりぴり逆撫でしていたようだ。そこへもってきてわんの「日本軍は負けるかもしれないのですか?」発言で、わんのことが、いや、沖縄人がゆるせなくなったらしい。この時分で、部隊と村の緩んだ精神を引き締めるために、そのみせしめとしてわんの自決が決行されたということであるようだ。
 わんは着物の裾に付いたほこりを落とした。帯を締めなおし、手榴弾のピンに指をかけ、いきおいよく引く。が、なかなかピンが抜けない。今朝は何を食っただろうか、と、わんは考えた。昨日の晩は、その前は、ひじゅるんむにーと芋の皮しか思い出せない。
「しに、ふーちばじゅーしーかみぶさっさー」と、わんは大声でほえた。が、実際、口から出た言葉は
「天皇陛下ばんざーい」大声は出たが手榴弾のピンはなかなか抜けなかった。
 一本木隊長が憤怒の形相で近づき、またもやびんた(今度は拳骨びんたのため手のひらは握られていた)のための右腕を振り上げつつ、「一人で自決もできん、洟垂れ小僧が。だから沖縄人は何の役にも立たんというんだ」と罵りながら、左手でさっとわんから手榴弾を奪い取り、「天皇陛下から賜った手榴弾で死ねて幸せだと思わんか」といいつつ、びんたをはり、後ずさりながら、ピンを抜き、わんに向けて手榴弾を投げつけた。
 わんは二度目のびんたと栄養失調がかさなりフラフラではあったが、反射的に身体が動き、ころがる手榴弾を眼で追いつつ、たうちーもかくやのすばやさで後ろに飛びのいた。が、わんの後ろは石灰岩の崖しかなかった。いや、崖さえもなく、空中しかなかった。
 どっわーんと意識が遠くなる爆音と硝煙が顔の廻りを取り囲み、砂嵐が顔面をなめあげた。ちりちりとした熱さが身体全体を這いまわった。静かだった海に白波が立ちはじめた。その波は島に打ち寄せるのではなく、空から何者かの力で吸い取られるように空へ向かって波立ち、そして消えた。気圧が低くなったのか耳の鼓膜が引っ張られ痛みを感じた。強烈な光がやさしくわんを包んでいった。遅れて大音響がこだました。壮絶に切れ込んだ高域がまず入り込み、続けざまに鉞でぶったぎるような圧力の有る低域がふわりと耳全体を押した。木は大きく揺れ、島全体がぶるぶる震えた。一瞬身体が軽くなり宙に浮いたような気がした。寒さが暖かさへと変わりやがて灼熱地獄となった。身体中の血液が沸騰した。身体が小さい粒の集まりからできていることを、わんは、このとき初めて知った。細胞が緩み、それを形作っている分子、さらに小さい原子たちがお互い自由に動き回り、出入りした。身体は自然と同化することを受け入れた。意識が遠のき、命の炎が風前の灯火となった。秒速千五百メートルの爆圧はわんの身体をつつみこみ、もてあそび、空中へ放り投げ、後は地球の重力に任せるだけだった。

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プロフィール

グブリー川平(かびら)

Author:グブリー川平(かびら)
【座右の銘】
「考える前に跳べ」「神社仏閣から日常生活までメリット・デメリットは必ずある」「つるまず、自分の頭で考える」。
【性格】
シャイな目立ちたがり屋。
【好きな作家】
筒井康隆、椎名誠、井上靖、長岡鉄男、ナンシー関、養老孟司、野田知佑。
【最近印象に残った映画】
Rebelion。
【音楽】
芸能山城組。
【気になるテレビ出演者】
三神万里子。
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