グブリー川平の Visual & Audio Okey-doke Okinawa
すべてのメディアは「虚構」である。
ぱたぱたはーべーるー
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しかまち、かんぱち、さかいまち
ちゃーびら、ありびら、がじゃんびら
はいさい、グブリー川平やいびーん。
【大意】
あっさみよー、くぬ、やなわらばーや、ちゅ、とぅんもーらかち。すぐ、めーごーさー、しんりごーさー、りんごしりしりー、ちでーくにーしりしりー、くわーすよー、境町では。
ちゃーびらさい、はいはい、あい、どこからきたねえ、あそう、あそう、うん、あい、アメリカからわざわざきた。何乗ってきた?F-15イーグルはいーぐり(座りにくい)さん、着座位置がちょっと高めだからねえ、ってあんたよう、おもしろい、アメリカーだねえ。それで、どこに泊まっているの?なにぃ?すぐぱちみかすよう。だれが、はなびらー。えー、すぐ、おばーはこう見えても昔は吉永小百合に間違えられたこともあるんだよう。で、どこに泊まっているの?ああ、おいしいよねえ、あんだぐぁーと、ちゃらみかして、えー、それはちりびらーでしょう。はい、はい、変なアメリカーだねえ、あんた本当にアメリカ人ねえ?、でどこに泊まっているの?ああ、ありびらね。いや、そうじゃないよう。がじゃんと川平(かびら)は蚊とかけているんでしょうって、あい、かかっているねえ。昔々、琉球国首里(しゅり)のとある坂道での出来事です。そこの近くに植物に住んでいる、まだ、名もない昆虫がいました。名前がないと書き進むのが難しいのでぱたぱたはーべーるーと名づけましょう。ぱたぱたはーべーるーは身を隠すことなく、毎日、ぱたぱた、ぱたぱた、と首里だやー達の前を飛んでいるのですが、首里の人はまったくぱたぱたはーべーるーに気づくことがありませんでした。そこで、ぱたぱたはーべーるーは「そうだ、きれいな蝶々になればみんな見つけてくれるぞ、わんに注目してくれるぞ」と思いました。そして、自由を放棄してさなぎになることを覚え、一ヶ月の間、隠遁生活を送り、ついに羽化の日を迎えました。「あー、なんて、この世は明るくきれいなんだろう。わんは生まれ変わったんだ、もう蝶々になったんだ。みんなの注目を独り占めだ」とうれしくてうれしくてぱたぱたはーべーるー改め蝶々はぱたぱた飛び立ちました。そこへ、武蔵出身のお役人が通りがかり、ぱたぱたはーべーるーとぱったり出くわしました。この大きな羽を持った昆虫を見た武蔵出身の役人は「蛾、じゃん」と言いました。「なにー、蝶々だよう。お役人さん、わんやしゅいぬ蝶どぅやゆる。いきみにひみいりぃ、うくそとぅなゆる。あいごー」とぱたぱたはーべーるー改め蝶々は地面に泣き崩れました。その後もずっと泣きつづけ、その涙が梅雨になりました。雨があがり、武蔵出身のお役人が坂道を昇りはじめると、ぶーんという羽音とともに大量の小さい虫が飛びかかり、お役人の腕や足や顔や首筋やと肌の出ている部分に襲い掛かり刺しまくりました。刺された部分は見る見る赤くはれ上がりものすごいかゆみも押し寄せました。それからというものこの虫こと蝶になりたかったのに蛾に間違われたぱたぱたはーべーるーは「がじゃん」と呼ばれるようになり、梅雨が明けると、坂の脇に生える植物の間から通りかかる人を待ち伏せしているということです。そしてその坂をがじゃん坂(ひら)と呼ぶようになったとのことです。信じるか信じないかはいやーぬ勝手だばーてー。(Copyright©グブリー川平)
しかまち、かんぱち、さかいまち
ちゃーびら、ありびら、がじゃんびら
はいさい、グブリー川平やいびーん。
【大意】
あっさみよー、くぬ、やなわらばーや、ちゅ、とぅんもーらかち。すぐ、めーごーさー、しんりごーさー、りんごしりしりー、ちでーくにーしりしりー、くわーすよー、境町では。
ちゃーびらさい、はいはい、あい、どこからきたねえ、あそう、あそう、うん、あい、アメリカからわざわざきた。何乗ってきた?F-15イーグルはいーぐり(座りにくい)さん、着座位置がちょっと高めだからねえ、ってあんたよう、おもしろい、アメリカーだねえ。それで、どこに泊まっているの?なにぃ?すぐぱちみかすよう。だれが、はなびらー。えー、すぐ、おばーはこう見えても昔は吉永小百合に間違えられたこともあるんだよう。で、どこに泊まっているの?ああ、おいしいよねえ、あんだぐぁーと、ちゃらみかして、えー、それはちりびらーでしょう。はい、はい、変なアメリカーだねえ、あんた本当にアメリカ人ねえ?、でどこに泊まっているの?ああ、ありびらね。いや、そうじゃないよう。がじゃんと川平(かびら)は蚊とかけているんでしょうって、あい、かかっているねえ。昔々、琉球国首里(しゅり)のとある坂道での出来事です。そこの近くに植物に住んでいる、まだ、名もない昆虫がいました。名前がないと書き進むのが難しいのでぱたぱたはーべーるーと名づけましょう。ぱたぱたはーべーるーは身を隠すことなく、毎日、ぱたぱた、ぱたぱた、と首里だやー達の前を飛んでいるのですが、首里の人はまったくぱたぱたはーべーるーに気づくことがありませんでした。そこで、ぱたぱたはーべーるーは「そうだ、きれいな蝶々になればみんな見つけてくれるぞ、わんに注目してくれるぞ」と思いました。そして、自由を放棄してさなぎになることを覚え、一ヶ月の間、隠遁生活を送り、ついに羽化の日を迎えました。「あー、なんて、この世は明るくきれいなんだろう。わんは生まれ変わったんだ、もう蝶々になったんだ。みんなの注目を独り占めだ」とうれしくてうれしくてぱたぱたはーべーるー改め蝶々はぱたぱた飛び立ちました。そこへ、武蔵出身のお役人が通りがかり、ぱたぱたはーべーるーとぱったり出くわしました。この大きな羽を持った昆虫を見た武蔵出身の役人は「蛾、じゃん」と言いました。「なにー、蝶々だよう。お役人さん、わんやしゅいぬ蝶どぅやゆる。いきみにひみいりぃ、うくそとぅなゆる。あいごー」とぱたぱたはーべーるー改め蝶々は地面に泣き崩れました。その後もずっと泣きつづけ、その涙が梅雨になりました。雨があがり、武蔵出身のお役人が坂道を昇りはじめると、ぶーんという羽音とともに大量の小さい虫が飛びかかり、お役人の腕や足や顔や首筋やと肌の出ている部分に襲い掛かり刺しまくりました。刺された部分は見る見る赤くはれ上がりものすごいかゆみも押し寄せました。それからというものこの虫こと蝶になりたかったのに蛾に間違われたぱたぱたはーべーるーは「がじゃん」と呼ばれるようになり、梅雨が明けると、坂の脇に生える植物の間から通りかかる人を待ち伏せしているということです。そしてその坂をがじゃん坂(ひら)と呼ぶようになったとのことです。信じるか信じないかはいやーぬ勝手だばーてー。(Copyright©グブリー川平)
沖縄・島伝説1
沖縄の暴力団には、自治体の教育委員会歴史資料室やボランティア遺骨収集について詳しい知識を持ち合わせた者がいるという。なぜかというと、沖縄の暴力団は、遺体の処理に困ったとき、壕の中に捨ててしまうらしい。時がたつと、第二次世界大戦で埋まってしまった遺骨を掘り出す遺骨収集の人たちが、暴力団の放置した遺体の骨を遺骨として収集してしまう。証拠隠滅と弔いまでしてくれるという、暴力団にとっては一石二鳥のおいしい手段らしい。ただし遺体がフレッシュなときに遺骨収集団が壕の中に入り込むと困るので、発掘調査や遺骨収集のスケジュールと場所を調べるため、冒頭の知識があり組織と通じている人が重用されるらしい。
信じるか信じないかは「いやーぬ勝手だばーよー、ちゃめ」
信じるか信じないかは「いやーぬ勝手だばーよー、ちゃめ」
ちびらーさん2
「ちびらーさん」は琉球語で「りっぱ」という意味だ。例えば、今日はさんしんの日ということになっているわけだけども、「いやーぬ、三味線ひちゅしぃ、ちびらーさんやー」と言えば、「おまえの三味線テク、すごいねべーびぃー」ということだ。そこで、今日は三味線の由来、というわけではなくて「ちびらーさん」の方の由来を調べてみた。
今の中国が清(しん)の時代の北京でのこと。絶大な権力を手中に収めた西太后(せいたいこう)がいた。彼女は嫉妬深く、怖くて残忍な人だったらしい。夫の文宗(ぶんそう)が妾を囲っていると聞くや(そのころ、西太后の権力で夫の後宮は廃止されていた)、その妾、愛人、などなどの女を自分の周りを警護している家人に捕らえさせ、このように命令したとのこと「手足をちぎり、目をつぶして便所に放り込みなさい」。つまりですねえ、便所というのはうちなーんちゅ(沖縄人)ならよく知っているうわぁーふーる(便所+豚小屋)ですね。そこに手足をちぎり、目をつぶした女たちを放り込んで家人の排泄物で豚と一緒に養う、という刑罰だったわけです。生かさず、殺さずの典型ですな。怖いでしょう。
で、話はさらに発展するわけで、冊封(さくほう)で我が琉球から都北京に上った伊波親雲(ぺーちん)という人がおったそうで。その方が、紫禁城でおもてなしを受けたそうな。そのときでてきた料理が尻辛湯(チビラータン)だったそうなのですね。チビはお尻、ラーは辛い、タンは湯と書いてスープのことなのですねえ。このスープを飲んだ伊波、あまりのうまさに驚いた。そしてスープの中に浮かぶぷるぷるとした触感の柔らかい三枚肉がまた猛烈においしかった。で、よせばいいのに伊波はそのスープの作り方を是非とも教えていただきたいと嘆願したととのこと。スープの作り方はというと、つまり、うわぁーふーるで育った女たちの尻の肉で作ったスープだったわけです。うーむ。それで、伊波親雲は琉球に帰り中国の恐ろしい話としてこのスープ、チビラータンのことを冊封使録で報告したようですが、いつの間にかすばらしくおいしいスープという話だけになり、さらに、すばらしいことを形容する今のちびらーさんになったとのことです。沖縄方言も奥が深いなあ。
今の中国が清(しん)の時代の北京でのこと。絶大な権力を手中に収めた西太后(せいたいこう)がいた。彼女は嫉妬深く、怖くて残忍な人だったらしい。夫の文宗(ぶんそう)が妾を囲っていると聞くや(そのころ、西太后の権力で夫の後宮は廃止されていた)、その妾、愛人、などなどの女を自分の周りを警護している家人に捕らえさせ、このように命令したとのこと「手足をちぎり、目をつぶして便所に放り込みなさい」。つまりですねえ、便所というのはうちなーんちゅ(沖縄人)ならよく知っているうわぁーふーる(便所+豚小屋)ですね。そこに手足をちぎり、目をつぶした女たちを放り込んで家人の排泄物で豚と一緒に養う、という刑罰だったわけです。生かさず、殺さずの典型ですな。怖いでしょう。
で、話はさらに発展するわけで、冊封(さくほう)で我が琉球から都北京に上った伊波親雲(ぺーちん)という人がおったそうで。その方が、紫禁城でおもてなしを受けたそうな。そのときでてきた料理が尻辛湯(チビラータン)だったそうなのですね。チビはお尻、ラーは辛い、タンは湯と書いてスープのことなのですねえ。このスープを飲んだ伊波、あまりのうまさに驚いた。そしてスープの中に浮かぶぷるぷるとした触感の柔らかい三枚肉がまた猛烈においしかった。で、よせばいいのに伊波はそのスープの作り方を是非とも教えていただきたいと嘆願したととのこと。スープの作り方はというと、つまり、うわぁーふーるで育った女たちの尻の肉で作ったスープだったわけです。うーむ。それで、伊波親雲は琉球に帰り中国の恐ろしい話としてこのスープ、チビラータンのことを冊封使録で報告したようですが、いつの間にかすばらしくおいしいスープという話だけになり、さらに、すばらしいことを形容する今のちびらーさんになったとのことです。沖縄方言も奥が深いなあ。
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